第六天榊神社|蔵前|パワーあり!疲れた時に訪れたい、皇祖二柱の神。

2018年10月2日

天榊神社は、台東区蔵前にある神社。正式名称は「榊神社」であるが、元々の社号が「第六天神宮」だったので、通称「第六天榊神社」と呼ばれる。

伝承によると、相当古くからある古社のようだ。

生い茂る木々の生命力と、地中を流れる水の気配が感じられる境内は、まさに元気・活力のパワースポットと呼ぶにふさわしい。長く滞在したい神社である。

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第六天榊神社について

第六天榊神社 概要

  • 所在地   東京都台東区蔵前1丁目4−3
  • 電話番号  03-3851-1514
  • 主祭神   榊皇大神
  • 創建年      110年(伝)
  • 社格   村社
  • 公式HP     なし

第六天榊神社 アクセス

MAP

アクセス 

  • JR総武線「浅草橋駅」 徒歩8分

駐車場  

  • なし

第六天榊神社の祭神

境内の案内によると、

  • 榊皇大神(さかきのすめおおかみ)

東京神社庁によると、

  • 天神第六代坐榊皇大御神
    (あまつかみ むつのみよにあたりたまう さかきのすめおおみかみ)
  • 面足尊(おもだるのみこと)
  • 惶根尊(かしこねのみこと)

なんだかややこしいいが、

榊皇大神 = 天神第六代坐榊皇大御神 = 面足尊 + 惶根尊

と、私は理解することにした。

面足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)

古事記では、面足尊は淤母陀流神(おもだるのかみ)と書き、惶根尊は阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)と称す。

古事記の神世七代の六代目に現れた兄妹神(夫婦神)である。

おもだるは、完成した(不足なし)の意味で、あやかしこねは「あやにかしこし」と(完成したことを)称賛する様子を表す。つまり、人体の完成を神格化したものとされている。

なので、いよいよ次の代(七代目)からは、喜怒哀楽・愛憎・性交・出産などなど、神はグッと人間らしくなるのだろう。

その七代目が、伊邪那岐と伊邪那美なのである。腑に落ちる。

さて、平安時代の神仏習合思想の中で、この二柱の神は神世七代の第六代であることから仏教の第六天と習合することになる。

第六天(第六天魔王)は欲界の最上位の魔王。仏教の教えを妨げる魔王らしい。

あまり喜ばしい習合ではないと感ずるのは私だけでは無かろう。

第六天榊神社の創建と歴史

創建

第12代景行天皇40年。(西暦110年)太古の昔の話。

東国征伐のため関東にやってきた日本武尊は、遥か西に霊峰富士、南には大海原、北に筑波の山々を望む、隅田川付近の小高い山の頂きを斎庭(さにわ)と定め、そこにしばらく滞在した。

そして、その小高い山に皇祖二柱を祀った。これが第六天神宮の創建である。

鳥越三所明神

後世、この聖なる山に新たに2つの神社が創建されることになる。

飛鳥時代前期の651年(白雉2年)には、土民たちによって日本武尊を祀る「白鳥神社」が創建された。現在の「鳥越神社」である。

また戦国末期の1571年(元亀2年)には「熱田神社」が創建された。

この合わせて3社を「鳥越三所明神」と称した。

遷座

江戸初期になると、全国の諸藩から集まった米を貯蔵する蔵の建設用地確保のため、隅田川の河川敷を埋め立てることになった。

鳥越山を削って、その土砂で埋め立てるという計画である。

となると。鳥越山にあった三社すなわち第六天神社・鳥越神社・熱田神社に移転命令が出されるのは必定。

奇跡的に鳥越神社だけは旧地に残ったが、熱田神社は山谷へ遷座。そして第六天神宮は堀田原(現。柳橋)へ遷座した。

社名変更と2回目の遷座

明治6年、神仏分離を受けて、第六天神宮は榊神社と社号を変える。当然、祭神も「本地仏、第六天魔王」から「垂迹神、神世七代の六代目」に変更されたことは言うまでもない。

昭和3年、東京高等工業学校の跡地に遷座し今に至るという。

第六天榊神社のご利益

境内の案内板に、健康長寿・諸行繁栄と記されていた。

日本武尊が、東国の平安を祈願し、国家鎮護の神宮として創建したわけなので、まずはそこを祈るべきと心得る。

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第六天榊神社 参拝記録

小雨そぼ降る早秋。傘を片手に浅草橋から鳥越神社方面へ歩いていたとき、何かの視線を感じて右を向いた。

すると、ビルとビルの狭間の遠くのほうに、鳥居が見えるではないか。「あんなところに神社があったとは!」

三度目の鳥越神社の参拝を済ませた私は、逸る気持ちを抑えつつ、あの鳥居を目指して歩いていった。

遠くから見えていたのはこの鳥居。これは境内の側面である。正面に回ろう。

社頭

南西向きの表玄関。

シンプルかつ重厚な神明鳥居である。社標もダイナミック。私好みの外観だ。

手水舎がいい!

清潔かつ厳かな雰囲気を持つ手水舎。画像ではわかりにくいが、ほのかに燈る灯りが刺し色となって、美しいのである。

自然石をくり貫いた手水鉢、花崗岩製の水口と柄杓置き。どれをとっても風流この上ない。

ここで一休み。しばらくは、滴り落ちる水を眺めながら、周辺の気を胸深くまで吸い込むのが気持ちいい。ここは、お勧めのポイントだ。

拝殿

内参道はくの字に曲がり、神殿は南向きに鎮座している。

日本武尊ゆかりの神社であるがゆえに、白を基調とする拝殿である。

石段を上がり拝殿前に立つ。二拝二拍手一拝。天津祝詞。

拝殿の中に灯る明かりが、おぼろ月のよう。穏やかな心持になる。

鎮守の森の様子

木々が元気である。イキイキとしている。雨のせいだけでは無かろう。すぐそば(200m)を隅田川が流れている。おそらく境内下には大量の地下水が流れているものと推察する。

境内社

七福稲荷神社

「倉稲魂命」を祀る。こちらは明神鳥居である。

事比羅神社と豊受神社

こちらは、事比羅神社と豊受神社が合祀された社。

事比羅神社の祭神は「大己貴命」で、豊受神社の祭神は「豊受姫命」である。

繁盛稲荷社

こちらは繁盛稲荷社で、祭神は「倉稲魂命」

これらの末社は、近隣からの合祀だろうか。

最後に

東京や大阪にある神社の多くは、長い長い歴史の中で、時の権力者の都合、都市整備の影響などを受けて、遷座を余儀なくされてきた。

遷座を繰り返した神社の神域には、神聖なる土地の力も薄く感じるものだ。

しかし第六天榊神社の神域は、瑞々しく生き生きとした、まさにパワフルな生命力を感じる神域だった。

近くにお立ち寄りの際は、是非とも訪れていただきたい神社の一つと思う。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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