亀戸香取神社|江東区|スポーツ振興の神に必勝祈願を!

2018年9月30日

亀戸香取神社は、東京都江東区亀戸にある神社。スポーツの神として振興を集め、日本のトップアスリートも多く参拝する神社だ。

近くには東京十社のひとつ「亀戸天神社」があるので、合わせて参拝いただければと思う。

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亀戸香取神社 概要

亀戸香取神社 概要

  • 所在地   東京都江東区亀戸3丁目57−22
  • 電話番号  03-3684-2813
  • アクセス  JR総武線「亀戸駅」 徒歩10分
  • 駐車場   なし
  • 主祭神   経津主神
  • 創建年      665年(伝)
  • 社格   
  • 公式HP     http://www.katorijinja.jp/

MAP

亀戸香取神社の祭神

主祭神に「経津主神」を祀り、相殿に「武甕槌神」、「大己貴神」を祀る。

この三柱の神々が揃うと、まさしく、神話「葦原中國平定」の主役がそろい踏みといった様相だ。

「新編武蔵風土記稿」(1804年-1829年)によると、祭神は少し異なる。

経津主神と武甕槌神は同じだが、大己貴神ではなく「大杉大明神」とある。「常州阿波郡大杉明神飛来せり」と。

茨城県の大杉神社の祭神は、倭大物主櫛甕玉命・大己貴命・少彦名命。これは大和国の「大神神社」(三輪明神)の祭神と同じである。

いずれにしても、葦原中國平定に登場する神々である。

経津主神(ふつぬしのかみ)

日本書紀において、

天照大御神の命により、武甕槌神を従えて高天原から降臨し、葦原中國(地上世界)の統治権を譲るよう、大己貴神(大国主命)に迫った神。

霞ヶ浦近くに鎮座する香取神宮の祭神であり、藤原氏の氏神とされている。

本来は祭祀氏族「香取氏」の氏神であり、その香取氏は物部系の矢作連であった。すなわち物部氏の氏神ともいえる。

しかし香取氏に中臣氏から養子が入り、以降、中臣氏(藤原氏)の氏神とされたという説もある。

大阪府八尾市に「矢作神社」がある。矢作連の氏神を祀る神社だ。祭神はもちろん経津主神。

あながち的外れでな説ではないように思う。

武甕槌神(たけみかづちのかみ)

古事記の「葦原中國平定」では、武甕槌神が天鳥船を従えて天下ったとされる。

こちらも霞ヶ浦近くに鎮座する「鹿島神宮」の祭神。そして経津主神と同じく藤原氏の氏神とされている。

大己貴神(おおなむじのかみ)

大国主命のこと。上の両神に国譲りを迫られた大己貴神は、息子の事代主命と建御名方命に判断を委ねる。

事代主命は、天津神に同意。

一方、天津神に反抗した建御名方命は、諏訪に追い詰められ閉じ込められた。これが諏訪大社である。

ここに、大国主命は国譲りを受け入れることになる。天にも届くほどの高い宮殿に祀られることを条件にして。これが出雲大社である。

亀戸香取神社の創建

665年(天智天皇4年)藤原鎌足公が東国下向の際、まだ島であった当地に寄り、経津主神を勧請して太刀を奉納し、旅の安泰を祈ったのが始まりと伝わる。

なんと、飛鳥時代からある古社なのだ。

970年頃、平将門の乱の折、追討使として東国に派遣された藤原秀郷が、香取神社を訪れ戦勝を祈願して戦いに臨んだ。めでたく乱を平定した感謝の奉賽として弓矢を奉納、これが「勝矢」と命名され、現在も勝矢は当神社のシンボルとなっている。

亀戸香取神社のご利益

第一に、経津主神の軍神という側面と、藤原秀郷のが奉納した勝矢から「勝負運向上」が上げられる。

かつては、藤原鎌足が奉納した「太刀」にあやかって、「剣術上達」を願った剣豪たちの信仰も集めてきたという。

それが転じて現在では、スポーツ全般の上達と勝ち運を頂けると、アスリートたちの信仰を集めるようになっているのである。

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亀戸香取神社 参拝記録

亀戸駅のほぼ真北、明治通りを700mほど歩くと左手に亀戸香取神社が見える。

境内の側面から入ることもできるが、正面に回ろうではないか。

亀戸香取神社の鳥居

丸木をつかったシンプルな神明鳥居。重厚な印象だ。

鳥居の左手前に「といれっと」がある。鳥居や神社の風景に馴染んでいて好感が持てるトイレだ。

東京という街は、至る所に公衆トイレが設置されていて、とってもありがたいと思う。そしてそこそこ綺麗に保たれているのが凄い。大阪では、、、

手水舎

手水舎で手口を漱いで心身を清める。

境内の右側に境内社が並んでいる。

水神社・三峰神社・熊野神社

こちらの社殿には、三社が祀られている。

水神社

祭神は、水波能女神(みずはのめのかみ)。1787年の大洪水の経験から、水難除けとして創建された。

三峯神社

祭神は、国常立命(くにのとこたちのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)。火伏・盗難除のご利益がある。

享保年間の創建で、明治末期に梅屋敷園内から当地に遷座した。

熊野神社

家津御子大神ほか天津地祇十三柱の神々が祀られている。

かつては梅屋敷の北隣に鎮座し、亀戸村の水利を司っていたらしいが。大正13年に当地に遷座。

福神社

事代主神(恵比須神)と大国主神(大国神)が祀られている。大国主神は、本殿の相殿にも祀られているが。。。

「亀戸七福神」の内の恵比須様と大国様は、この福神社なのである。

富徳円満・商売繁盛の守護神であることは言うまでもなかろう。

稲足神社

狐像が据えられているから「稲荷神社」と思いきや、「稲足神社」である。

とは言え稲荷神を祀っているのだろうと思いきや、稲荷神だけではないのである。いやむしろ稲荷神は最後尾に挙げられている。

  • 面足神(おもたるのかみ)
  • 惶根神(かしこねのかみ)
    • 金山毘古神(かなやまびこのかみ)
    • 宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)

主祭神は、面足神・惶根神。この二柱の神は天地開闢で現れた「神代七代」の6代目のコンビである。であるからして創造の神と言えよう。

そして、相殿の金山毘古神は琴平宮が合祀されたもの、宇賀御魂神は渡辺稲荷神社が合祀された。

天祖神社

本殿に一番近い境内社が「天祖神社」。江東区で最も古い神社で、明治までは入神明宮(いりしんめいぐう)と称した。光明寺の北の小高い塚の上に鎮座していたらしい。こちらに遷座したのは昭和63年とのこと。

祭神は、もちろん天照大御神である。

亀戸香取神社の拝殿

そういえば、「香取」とつく神社は初めてである。死ぬまでに一度は参拝したいと思っている「香取神宮」の代わりというと申し訳ないが、そんな心持で参拝する。

二拝二拍手一拝。

ふと目をやると、拝殿の左にアスリートや芸能人のサインが。。。

これがエスカレートすると、京都の白峯神宮のように神社の本質・祭神の本質がわからなくなってしまうので、ほどほどがよろしいかと思う。老婆心ながら。。。

勝ち石

大きな石の上の白い物体は、太刀を彫刻したもの。この石に触れると勝ち運が付くということのようだ。

あやかりたいと思い、手で触れながら石の周りを一周した。さて、どうだろうか。

拝殿の横にある恵比寿神・大國神の神像。自分の体の気になる部分を洗い清めると、病気が治癒するとか。

亀井戸跡

亀戸天神社にもあったが、亀井戸の跡。おそらく他にもあるのだろう。亀井戸の跡。

亀戸香取神社のお守り

社務所が閉まっていたので購入できなかったが、こちらには「勝」に関する人気のお守りがあるようだ。

  • 藤原鎌足が奉納した太刀にあやかって勝運を頂ける「必勝太刀守」
  • 藤原秀郷が奉納した勝矢のミニチュアが入っている「勝守」
  • 境内の白石(白星)を拾って袋に入れる「勝運守袋」

スポーツを愛する諸君には、是非とも参拝頂きたい神社である。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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