藤白神社|和歌山|熊野聖域への入口に鎮座する、熊野三山の遥拝所。

2018年8月14日

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藤白神社 概要

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藤白神社は、和歌山県海南市、阪和自動車道の海南インターチェンジ近くの登山口にある、神仏習合の痕跡を今に残す、一種独特な雰囲気を持った神社である。

創建は、12代景行天皇5年(西暦75年)ごろといわれ、社殿については37代斉明天皇が白浜温泉に出かけた時に祠を造営したのが始まりと伝わる、大変な古社で、

熊野九十九王子の中でも別格とされる五体王子のひとつ「藤白王子」でもある。

  • 所在地   和歌山県海南市藤白448
  • 電話番号   073-482-1123
  • 最寄り駅  JRきのくに線 海南駅
  • 駐車場   50台 無料
  • 主祭神   饒速日尊
  • 創建年   景行天皇5年(伝)
  • 社格    県社
  • ご利益   国家安寧、開運、子宝、子育て
  • 公式HP   なし

藤白神社MAP

和歌山県海南市藤白448

藤白神社の祭神

主祭神は、天照国照饒速日尊。配神として熊野坐大神、熊野速玉大神、熊野夫須美大神、天照大神を祀る。

天照国照饒速日尊

物部氏の祖神にして、瓊瓊杵尊よりも早くに天下った天孫であり、神武天皇よりも早くから大和に君臨していた大王とされる。(先代旧事本記)

古事記・日本書紀では、ほとんど登場しない、言わば、時の権力者によって消された神である。

河内国や大和国の神社で多く祀られているが紀国では珍しいと思う。

 

熊野坐大神、熊野速玉大神、熊野夫須美大神

神仏習合によって誕生した「熊野権現」である。熊野三山すなわち熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社に祀られる主祭神を指す。

熊野坐大神

熊野本宮大社の主祭神「家津美御子」であり「須佐之男命」。本地仏は「阿弥陀如来」。

熊野速玉大神

熊野速玉大社の主祭神「伊邪那岐神」。本地仏は「薬師如来」。

熊野夫須美大神

熊野那智大社の主祭神「伊邪那美命」。本地仏は「千手観音」。

藤白神社の創建・歴史

創建

社伝によると、景行天皇5年に創建されたとのこと。

全国の鈴木姓の発祥である藤白鈴木氏が社家として藤白神社を代々守ってきた。この鈴木氏は、饒速日尊の直系子孫すなわち物部氏本流とも言うべき「穂積氏」の流れなのである。

その穂積氏も生駒山麓の石切劔箭神社において饒速日尊を代々に渡って祀り続けている。

ここ藤白神社は、紀州に移住した物部穂積氏が、故郷の生駒山に眠る饒速日尊を同じようにこの海南の地に氏神として祀ったのが始まりだろうと私は思う。

社殿造営

社殿が造営は斉明天皇によるもので、牟婁の湯御行の際に祠を建てた伝わる。37代斉明天皇4年~5年。西暦658年~659年。

さてちょうどこの頃、策略によって謀反の計画が露呈してしまった、天皇の甥っ子「有馬皇子」が、この地で処刑されている。

私は、斉明天皇が有馬皇子の御魂を鎮めるための祠を建てたのではないかと思っている。

熊野三所権現の勧請

聖武天皇が和歌の浦の玉津島神社に行幸された時、藤白神社に行基を参らせて、はるか熊野三山を遥拝して皇子誕生を祈願させた。

そのかいあって高野皇女が誕生。よって光明皇后は藤白の神域を整え、熊野三山の祭神を勧請し、

ここを末代皇妃夫人の熊野遙拝所と定めたという。

藤代王子

ここが藤白王子と呼ばれるようになったのは、孝謙天皇の御代のこと。

孝謙天皇が和歌の浦の玉津島神社に行幸の際、牟婁の出身である采女「熊野広浜」が熊野氏の祖神「饒速日尊」を祀る藤代神社に詣でて「日本霊験根本熊野山若一王子三所権現社」と称した。

それ以来、「藤白王子」、または「藤白若一王子権現社」と呼ばれるようになったらしい。

 

 

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藤白神社 参拝記録

阪和自動車道の海南インターを降りて、海南市街に向かって坂道を下ったところの交差点を右折。グイッとV字右折で側道に入って山に向かうと藤白神社の鳥居が見える。

正面の鳥居を通りすぎて、東側の鳥居の横手にある駐車場に止める。トイレや喫煙所も設置されている。

熊野の神域への入口 東側の鳥居

 

藤白神社は熊野三山の神域に入る「熊野の一の鳥居」と位置づけられている。ここからが熊野の神域ということになる。紀伊半島の山々すべてが神宿る神奈備だ。

鳥居をくぐると、まったりとまとわりつくような、優し気、湿った土の香りのような懐かしい気に、体全体が包み込まれれるような感覚がある。

小授け、安産、子育てのパワースポット 小守楠神社

鳥居をくぐってまず目につくのが、大きな楠木である。

藤白神社には、5本の楠の巨木がそびえている。そのうちの3本は、この小守楠神社の御神木とされている。

 

ご神木の楠木には、「直接手を触れて霊気を感じて下さい」と書かれてある通り、根元を踏まずに触れることができるよう階段が設置されている。

最初に感じた、ほのぼのとした優しい気は、どうやら境内の楠木群から発せられているようだ。

ちなみにこちらの氏子さんたち、小守神社にお参りをして、楠・藤・熊の文字を頂いて子供の名前を付けると、その子は健康で長生きするという言い伝えがあるらしい。

和歌山が誇る学者「南方熊楠」先生の名前がまさしくそれ。変な名前と思っていたのだが、合点がいった。

ご利益は、子授け、安産、子育て。

宮水「紫の水」

境内の中央に、湧水がある。「宮水・紫の水」と称する。

湧水はパワースポットの証し。

この水は、地元の酒蔵(長久さん?)の酒造用の水に使用されているらしい。

社務所前で、この水やこの水で沸かした麦茶を飲ませてもらうことが出来る。(夏限定かもしれないが)

有間皇子神社

境内の一番西側に有間皇子神社がある。こちらの祭神は、有間皇子。

孝徳天皇の御子で、中大兄皇子と蘇我一族により皇位継承争いに巻き込まれて、藤白坂で謀殺された悲劇の皇子。なんと御歳19歳。

ここから少し離れた場所に、有馬皇子の墓があるらしい。

神仏習合 権現本堂

熊野と言えば、神仏習合・「本地垂迹」の本場である。こちらの権現堂には、勧請された熊野の大神様の、真の姿とされる本地仏の像が安置されている。

前述の通り、熊野坐大神は阿弥陀如、熊野速玉大神は薬師如来、熊野夫須美大神は千手観音菩薩として祀られています。

ほかには、藤白王子の十一面観音、熊野の神域への入口の守護ということで、毘沙門天と不動明王が安置されている。

奇跡的に明治の排仏棄釈運動による破壊を免れたとのこと。熊野古道で、3体が揃っているのはここだけらしく、とても貴重なもの。必見なのである。

怖いぐらいの強烈!審判のパワースポット 拝殿、本殿

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さて、いよいよ本殿に参拝である。

割拝殿のような社務所をくぐると正面に拝殿があるのですが、社務所を通り過ぎたところから空気が豹変するのがわかる。

こんなに空気が変わるのは珍しい。というかわかりやすい。

ピリっというかシャキーンというか、とにかく、恐ろしく緊張する。

気合を入れて、天津祝詞を奏上。頭の中がグルングルン。恐ろしい。

癒されるとか、浄化されるとかというレベルじゃなくて、神前に立つ資格があるのか問われているような、そんな気配すら感じるのである。

で、結果は玉砕。帰れ!と言われたような気がしました。これを、審判のパワースポットと呼ぼうではないか。

今度、来させてもらうときは受け入れてもらえるよう、毎日をひたむきに生きていこうと反省する私であった。

しかしもうそのあとは、、、摂社に参拝する気力もなく、帰路についた次第である。

追記・・・

先日、2回目の参拝を無事に終えたので、本殿の東側に並ぶ摂末社もご紹介しようと思う。

本殿から近い順に、、、

恵比寿神社

明治の神社合祀令によって、蓬莱丁から遷宮。福の神、豊漁の神である。

巳神社

家、水、医薬、呪術の神様とのことである。

円座石(わらうだいし)

巳神社の傍らに置かれてある石。円座石という。

形が亀に似ているので亀石ともいう。その昔、藤白浜にあったもので、藤白王子の御旅所と言われた。

大酒家が酒を断つためにこの亀石に酒を飲ませて祈願したら酒嫌いになるという。

とのこと。その石の由来よりも、円座石を「えんいし」ではなく「えんいし」と書くところが和歌山らしくて面白い。

和歌山人は、ザ行がダ行になる。「全然」を「でんでん」と発音する。「ぜんざい」は「でんだい」だ。

しかし、発音する時に混同するのではなく、「ざ」を「だ」と書くのだから、もはや混同などというレベルではない。

祇園社

七夕祭りと疫病除けの神様。七夕の日には子供たちが笹飾りを奉納し、願い事を祈念するらしい。

秋葉社と神馬

御札を台所に祀りることで、火災を防ぐ火伏せの神様。となりに木製の神馬と祠がある。

住吉神社と塩竃神社

左が住吉神社。縁結び、子授け、海上安全の神様。
右が塩釜神社。漁業、安産、製塩の神様である。

藤白神社を参拝して思うこと

藤白神社の特徴といえば、一言で言うと神仏習合の名残を伺える点と、神域・熊野三山の入口だという点。

私は今回の参拝で、藤白神社は「人生の合否発表してもらえる神社」だ、という印象を強く強く感じた。

仏教の世界では、人間は死ぬと閻魔大王の裁きを受けて、善い行いをしてきた者は極楽へ、善い行いをしてこなかった者は地獄へと送り込まれるらしい。

死んで初めてダメ出しされるより、人生の途中で中間発表してもらえたら、こんなありがたいことはないと思う。そこから心機一転、やり直しもできようというものだ。

定期的に参拝したい神社と言えよう。