渋川天神社|物部宋家の別業に本格大寺院があった?渋川廃寺は、物部氏の氏寺なのか?

2018年2月16日

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渋川天神社 概略

渋川天神社は、八尾市渋川町に鎮座する小さな神社である。その境内は、JR大和路線に面している。

かつて、旧国鉄による龍華操車場の工事の際、地下から多くの単弁八葉や忍冬唐草紋の瓦及び塔心礎が出土した。すなわち寺院の跡である。

渋川から出土した寺院跡であるから「渋川廃寺」と名付けられた。

この渋川廃寺、単なる寺院跡が見つかったということでは済まない事情がある。

それは、寺院が見つかった場所が場所だけに。このあたりには、物部守屋の「渋川の別業」があったとされる場所であるからだ。

すわっ、物部氏(宗家)建立の氏寺に違いない!物部氏と蘇我氏の対立は宗教戦争ではなかった!などという説が俄かに勢いを増した。

しかし、久宝寺駅前の再開発に伴い再び発掘調査が行われ、渋川寺の建立時期が7世紀前半であると判明したから、たいへんだ。

物部宗家の滅亡が587年であるからして、物部宗家の建立ではなく、蘇我氏もしくは厩戸皇子の建立の可能性が極めて高くなったのである。

とは言え、たかだか50年前後の差である。1400年の時の流れからすると誤差の範囲なのかもしれない。

物部派の私としては、物部氏の寺院であって欲しいと思うのだが。。。

いずれにしても、この場所は旧大和川(長瀬川)と古平野川が分岐していたでろう地点である。いわゆる要衝。この場所に大型施設が造営されて当然と思う。

さて、話を神社にもどそう。

渋川天神社 創建

八尾市データベースによると、飛鳥時代の創建と伝わるとされている。

飛鳥時代からここに鎮座したとするなら、ちょうど渋川寺が存在した時期と重なる。

渋川天神社 祭神

祭神は、素戔嗚尊菅原道真公である。

明治に入り、一村一神社?制が施行された時、この天神社は近隣の渋川神社に合祀された。そしてその後、復活を果したという経緯がある。

天神社復活後も、渋川神社の祭神から外れることなく、今でも菅原道真公は渋川神社の祭神となっているのだが、現在の渋川神社の祭神に素戔嗚尊の名は無い

天神社が復活する際に、どこかから勧請してきたということなのだろうか。

渋川天神社のご利益

神社側の発表はない。よって、厄払いと学問の守護神とさせていただこう。

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渋川天神社 参拝記録

線路の向こう側、すなわち「Joshin」から線路越しによく見えるのだが、なかなか参拝する機会が無かった。

JR八尾駅の北口を出て、左に曲がる。郵便局、大阪王将、スポーツクラブ「パシオ」の前を通り、飲食店が並ぶ地域へと進む。

その辺りから道路の高架が見えると思う。その高架の下をくぐる。住宅地を出来るだけ線路に近い道路を選びながら線路沿いに進むと見えてくる。

鳥居

遠目から見るよりも、広く感じる境内である。社標もきれいだ。境内も落ち葉など綺麗に掃き清められており、気持ちがいい。

鳥居の横に、渋川廃寺跡である旨の案内板がある。

境内は子供の遊び場となっていた。

拝殿

神額

本殿の画像は撮り損ねてしまったが、本殿の左に小祠が二基並んでいた。表札がないので、祭神はわからない。

日が傾いた早春の参拝であったため、境内全体が薄暗く、うすら寒い印象であるが、しめ縄は新しいものが掛けられており、社殿もキチンと清掃されている。

夏祭りには「ふとん太鼓」が出る、生きた神社である。

最後あmでお読み頂き、ありがとうございました!

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