三光神社|天王寺区玉造|真田の抜け穴が大人気。中風封じの三光さん。

2018年3月9日

三光神社(さんこうじんじゃ)は、上町台地の宰相山頂上に鎮座する神社である。

この宰相山の隣にある真田山に、大坂冬の陣で大活躍した真田幸村の真田丸があったとされる。よって、境内には真田丸へと続く?トンネル?の遺構などがある。幸村の銅像もあり、幸村ファン垂涎の神社である。

またこの山は、大昔は姫山神社と称していた。

宰相山の少し南にある、高津・味原・小橋あたりは、下照比売命が天の磐船に乗って天降った場所という伝承がある。

がゆえに、この姫山の姫は下照比売命を指すのではないだろうか。。。などと考える。

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三光神社について

三光神社の概要

  • 所在地   大阪市天王寺区玉造本町14番90号
  • 電話番号  06-6761-0372
  • 主祭神       天照大神、月読尊、素戔嗚尊
  • 創建年       反正天皇の御代(伝)
  • 社格
  • 公式HP     http://www.sankoujinja.com/

MAP

最寄り駅 

  • 地下鉄 玉造駅から100m、
  • JP大阪環状線 玉造駅から400m

駐車場  

  • なし

三光神社の祭神

三光神社の祭神は、天照大神、月読尊、素戔嗚尊の三柱の神。よって、三柱神社と称されたこともある。

三光は三つの天体を表す。太陽と月と星。

天照大神は太陽、月読尊は月。となると、素戔嗚尊が星神となる。それしかないのである。

天照大神

古事記では、伊邪那岐命の禊祓で、最後に生まれた三柱の貴い子「三貴子」の長女となっている。

伊邪那岐命から、高天原の統治を任された日の神である。

現在は、伊勢の皇大神宮(内宮)にて日本の総氏神として奉られている。

月読尊

古事記では、同じく三貴子のうちの一柱で、天照大神の次に生まれた。

伊邪那岐命から、夜の統治を任された、月の神である。

素戔嗚尊

古事記では、同じく三貴子のうちの一柱で、最後に生まれた。神生み神話における末っ子とも言えよう。

末っ子だけあって、なかなかに元気で粗野で泣き虫である。喜怒哀楽が激しい。

伊邪那岐命から海原の統治を任されたが断ったため追放された。ということは海原を統治しなかったということになろう。

高天原を追放されたので、三貴子の一柱でありながら国津神のドン的な立ち位置に変化する。

余談だが、、、

三光について

牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。

引用:Wikipedia

まずは、素戔嗚尊=牛頭天王=薬師如来の公式が成り立つ。

薬師如来三尊像

薬師寺の国宝「薬師如来三尊」は、中央に薬師如来尊、そして中尊からみて左に日光菩薩、右に月光菩薩が配置されている。

この配置は、三貴子が生まれた場所と一致する。すなわち、、、

古事記によると、

伊邪那岐命が「禊祓」において、左目を漱いで天照大神が生まれ、右目を漱いで月読尊が生まれ、を漱いで須佐之男命が生まれた。と古事記にある。

薬師如来三尊像に三貴子を当てはめると、、、

  • 左 =日光菩薩=天照大神=日の神
  • 中央=薬師如来=素戔嗚尊=星の神(北極星)
  • 右 =月光菩薩=月読尊 =月の神

さてさて、こうなると素戔嗚尊(星)が天照大神(日)と月読尊(月)を従えることになる。

これはマズイと思った時の権力者は、素戔嗚尊から星神の神格を剥奪することにした。古事記や日本書紀を使って。

以上は、私の妄想。悪しからず。

三光神社の創建・歴史

創建

創建年だは不詳だが、社伝によると18代反正天皇の御代(406年~411年)にさかのぼると伝わる。

江戸時代には、寛文元年にここから少し南の「鎌八幡」の隣地に遷座したのち、宝永3年に再び現鎮座地に戻ったことが記録されている。

鎌八幡とは

「悪縁を断つ寺 鎌八幡」として有名な「円珠庵」のこと。

境内の榎木には、おびただしい数の鎌が突き刺さっている。ご利益は縁切り。住職にご祈祷をお願いしたのち鎌を打ち込むのだそうだ。

もともとは、高野山の麓にある丹生酒殿神社の境内社「鎌八幡宮」。五穀豊穣や無病息災を祈願するため、ご神木に鎌を打ち込む習わしがあった。

このちかくの九度山で隠居生活を余儀なくされていたのが真田幸村。

大阪夏の陣のさなか、田舎を思い出したのだろうか、こちらの榎木に鎌を打ち込んで戦勝を祈願したのが、大阪鎌八幡の始まりという。

中風封じ「三光宮」の勧請

いつのころかは定かではないが、陸前国の三光宮を境内社として勧請した。

この三光宮は中風封じに霊験あらたかとされ、いつしか姫山神社は三光宮で有名になったという。

三光宮(現:青麻神社)

天之御中主神・天照大御神・月読神を主祭神として、常陸坊海尊を合祀する神社。

主祭神三神はそれぞれ北辰・太陽・月の神であるため三光宮と称された。

中風封じは常陸坊海尊の霊験とのこと。

(青麻神社では、星神を素戔嗚尊ではなく、天之御中主神としている。)

明治41年に三光宮を本殿に合祀し、社号も三光神社を改めて今日に至る。

というわけで、三光神社の名称は、現在の主祭神からではなく仙台の三光宮の社号を頂いたということのようだ。

となると、そもそもの姫山神社に祀られていた神は、全然別の神だったのでは???と考えてしまうのだが、それはまた後日。

三光神社のご利益

中風封じのご利益で全国的にも有名である。

また、境内社の「武内宿弥社」には当神社の社家の祖神でもある武内宿禰命を寿老神として祀り、大阪七福神の一つとしても有名。

よって、無病息災、延命長寿のご利益が期待される。

次のページでは「真田の抜け穴」など含めて、参拝の記録をご紹介します!

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