檜原神社|三輪山を遥拝する元伊勢とも呼ばれる神社。三輪の大物主大神と檜原の天照大神の関係は?

2018年2月16日

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檜原神社 概要

檜原神社(ひばら)は、山辺の道を大神神社から北へ1.5kmほどの三輪山麓に鎮座する。

延喜式神名帳における『大和国城上郡 巻向坐若御魂神社 大 月次相嘗新嘗』とある式内社の論社である。他に論社としては「穴師坐兵主神社」(桜井市穴師町)がある。

檜原神社は、大神神社の摂社となっている。しかし、その創建由来や祭神をみると、大神神社との関係性は無いように思う。あるとすれば、同じ三輪山麓に鎮座する点、三ツ鳥居である点、本殿が無い点であろうか。

かつては三輪山を御神体としていたが、現在は三輪山中の磐座を御神体としているとのことだが、、、三輪山を御神体としていたのならば、祭神は「大物主大神」であるべきだと思うのだが、こちらの祭神は「天照大神若御魂神」という。

檜原神社 祭神

主祭神は、天照大神若御魂神。配神に、伊弉諾尊伊弉冊尊を祀る。

天照大神若御魂神

「あまてらすおおかみのわかみたまのかみ」と読む。大神神社HPには「天照大神」とある。当社案内板にも「天照大御神を、皇女豊鍬入姫命に託し・・・」とある。よって、天照大神を指すと思われるが、「若御魂」が気になる。

「穴師坐兵主神社」と争う、式内大社「巻向坐若御魂神社」の比定地候補であるが故の「若御魂」であろうか。

伊勢の天照大神になる前の天照御魂神と考えることもできよう。日神の巫女ではなく、日神の天照である。

三輪山の神を三ツ鳥居越しに遥思へば伊勢と三輪の神。一体分身の御事今更何と岩倉や拝する二つの神社「大神神社」と「檜原神社」。かたや、祭神を大物主大神とし、かたや天照御魂神を祭神とする。

能「三輪」の一節を思い出すのは私だけであろうか。

思へば伊勢と三輪の神。一体分身の御事今更何と岩倉や

能「三輪」より

伊弉諾尊と伊弉冊尊

天照大神の両親ということで、いつのころか合祀されたとみる。記紀によると、天照大神は、伊弉諾尊の左目から生まれたという。ちなみに、右目から月読命が生まれ、鼻から須佐之男命が生まれたとしている。

中央(最高位)の鼻から生まれたのが須佐之男命。興味深い。

檜原神社 創建

神社の由緒書には次のようにある。

第10代崇神天皇の御代、天照大御神は宮中にて天皇と同じ部屋で祀られていた。これは畏れ多いということで、崇神天皇6年、皇女「豊鍬入姫命」(とよすきいりひめ)に托され宮中を出て、“倭笠縫邑”(やまと かさぬいむら)に“磯城神籬”(しき ひもろぎ)を立てて祀った。
それが、この桧原の地であり、天照大神はその後、二代目御杖代「倭姫命」による伊勢遷幸の後も、檜原神社として天照大御神を引き続き祀ってきた。よって、この地を“元伊勢”と呼んでいる

檜原神社由緒 要約

この地に天照大御神が祀られたのが崇神天皇期、檜原神社として創建されたのが垂仁天皇期以降の創建ということになろう。

いつのころからか荒廃し、一時は灯篭のみが残された状態であったのだが、昭和40年に瑞垣や三ツ鳥居が復元されたという。

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檜原神社 参拝記録

大神神社には、年に何回か参拝に訪れるのだが、檜原神社まで足を延ばすことが無かった。狭井神社からでも20分~30分は歩かなければならないからだ。

今回、思い切って車でのアプローチを敢行。地図情報によると道が極狭のため、最悪は引き返す覚悟を持っていた。

結論を申し上げると、ナビの通り進んで問題ない。車1台がギリギリ通れる道ではあるが、なんなく神社前の駐車場まで行けるので心配はいらない。ただ、神域の横をクランク通過する部分のみ、石垣でボディを擦ってしまう可能性があるので注意が必要だ。

駐車場は20台ぐらいは止められるだろうか。だだの原っぱなので、止め方次第ということになる。

駐車場から神域を望む

見えにくいが、参道の突き当りに注連縄柱。そして林の向こうに三輪山のなだらかで優しい稜線が。当日は黄砂かなにかで極めて視界が悪かったが、クリアな日ならさぞかし綺麗なのだろう。

周囲は柿だろうか、果樹園が広がっている。そこここで鶯が鳴いてる。他にも数種類の野鳥のさえすりが聞こえてくる。音と言えば、鳥のさえずりと風が揺らす葉音のみ。のどかである。

檜原神社の注連縄柱

大神神社にはよく使われる「注連縄柱」。鳥居の原型とも言われている。

檜原神社の砂紋

ご覧いただきたい。美しい砂紋である。引いた直後のようで、足跡ひとつ無い。

なんと、すぐ横で年配の男性が砂紋を引いておられるではないか。

ボランティアの方だろうか。神職さんには見えない。

しかしこれは、、、引いているすぐ横で足形をつけてしまうのは、気が引けるではないか。そうだ了解を頂こう。

私:「おはようございます。ここ歩いてもいいでしょうか?すごくもったいないような気がしまして。。。」
翁:「どうぞどうぞ、お構いなく~」はにかんだように笑いながら。。。

この一言で会話は終わる。この会話だけで、お互いの心が通じ合う。お互いが相手を気遣う。日本人の美学である。心が温まる。来てよかった。

さて、清めの行程に移ろう。神前には、出来るだけ綺麗にして立ちたいものだ。

まずは、手水舎で清めよう。

うっかり手水舎を撮影し忘れた。申し訳ない。心が温まっていたからだろう。

次に、祓戸社があればそちらに参拝するのだが、手水舎の斜め後ろに祓戸があった。

檜原神社の祓戸

本来は神職さんが神事や祭祀の前に身を清める場所なのだが、私も結界の外側からではあるが、ここで罪穢れを祓おうと思う。二礼二拍手一礼しておこう。

自祓の「小麻」

こちらの神前にも、大神神社本宮と同じく、自分自身を祓い清めるための「小麻」(こぬさ)が置かれてあった。

  • 一礼して、両手で小麻を持ち上げる
  • 胸の前で構える
  • 左へ振る。次に右へ振る。もう一度左へ振る。
  • 胸の前に戻す。
  • 両手で元に戻して、一礼する。

檜原神社の三ツ鳥居

大神神社の拝殿奥にもある「三ツ鳥居」である。

檜原神社の三ツ鳥居は、昭和40年に復元され、さらに平成の内宮の式年遷宮で出た材木を賜り新調したものらしい。

三ツ鳥居の奥には神木が1本。普段は三輪山に鎮まる神が降臨する際の依り代となるのであろう。

瑞垣と三ツ鳥居とご神木。神祀りに不要なものを完全に削ぎ落した、極めてシンプルな造形であるが故に、人はそこに神の存在を感じ、畏敬の念をおぼえるのだろう。

二礼二拍手一礼。天津祝詞。

風が舞う。私は風によって、神の存在を感じるのである。と思い込んでいるのである。

豊鍬入姫宮

瑞垣内の左手に、豊鍬入姫命を祀る「豊鍬入姫宮」が鎮座する。昭和61年11月5日の創建である。

豊鍬入姫命は、崇神天皇の皇女であり、初代の斎宮である。前述の通り、王宮を出た天照大神は豊鍬入姫を御杖代として、吉備国・丹波国・紀国などを巡行。

次に垂仁天皇の皇女であられる倭姫命を二代目の御杖代として各地を巡幸し最終的に伊勢の五十鈴川の地に鎮まったとする。

ちなみに、倭姫命を祀る「倭姫宮」は、伊勢神宮の別宮として大正12年に創建されている。

浄化のパワースポット

神前以外では、境内向かって右側の広場の真ん中あたり、この木の横付近からパワーを感じる。細胞が震える感覚がある。私はこの感覚を浄化パワーとしている。

ちなみに、強烈なパワーを受けると、脳みそや顔が膨張したり、血圧が上昇したり、手足がしびれたりするのである。申し上げておくが、決して病気ではないのである。

 

さて、こちらに到着したのが10時ごろ。今、11時過ぎ。おそらく、9時ぐらいに大神神社を参拝した人々が、狭井神社、久延彦神社などを経て、この檜原神社にたどりつく時間帯であろうか、続々とハイカーのような人々がやってきた。そろそろ退散しようと思う。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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