照国神社|鹿児島|鹿児島の”総氏神様”島津斉彬公を祀る神社。

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照国神社は鹿児島市照国町に鎮座する、鹿児島の総氏神様と崇敬される神社である。

鎮座地は、城山の麓に築かれた「鹿児島城」(通称:鶴丸城)二の丸の西にあった、南泉院と東照宮の跡地にあたる。

というわけで、神社の裏山がまさに城山である。

鹿児島城

鹿児島城は、初代藩主「家久」によって築かれた。

城山沿いに横に長い城域を持ち、鶴が羽を広げた形に似ていることから「鶴丸城」と呼ばれるようになった。

高い石垣や深く広い濠、そして天守などの高層建築物もなく、極めて簡素。一見すると戦闘機能は低く見える。

しかし実は、後ろに聳える城山が後詰の要塞として機能する。城山と鶴丸城のセットで防衛する仕組み。

実際、西南戦争において西郷軍が立て籠もったのが城山である。

 

照国神社の祭神

江戸時代終り頃から明治初期にかけて、藩祖を祀る神社が各地で創建されたが、こちらに祀られるは藩祖ではなく、

明治維新へと進んでいく時代の先駆けとして大活躍した、薩摩藩第11代藩主「島津斉彬公」を祀っている。

すなわち、照国神社の祭神は「照国大明神」(島津斉彬公)である。

島津斉彬公

幕末の薩摩藩主。

藩主としてわずか7年の治政であったが、薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君である。

その力は薩摩藩内に留まらず、幕政にも影響力を発揮。公武合体や幕政改革を推進。勝海舟など幕府内部の要人からの信頼も篤かった。

しかし、大老「井伊直弼」と将軍後継ぎ問題で対立し、最終的には大老の強権発動によって敗北する。

抗議のため、軍隊を率いて上洛を計画するも、寸前に病気で倒れ急死。昨今、毒殺との見方もある。

松平慶永(福井藩主)、山内豊信(土佐藩主)、伊達宗城(宇和島藩主)らと並んで幕末の四賢侯と称された。

しかし、なんといっても斉彬公の最大の功績は、人材の育成。

西郷や大久保といった下級武士であっても、能力あるものを育成し活躍の場を与える。このような人材育成能力は、当時の大名に中では群を抜いて高かったと言えよう。

照国神社の創建・歴史

文久2年(1862年)、斉彬公の異母弟「久光」と甥「忠義」が「南泉院」郭内に社地を選定。

文久3年(1863年)、孝明天皇の勅命によって「照国大明神」の神号が授与され、祠を造営したのが始まり。

文久4年(1864年)、改めて東照宮が建っていた地に社殿を造営し、照國神社と称するようになった。

明治初年、「南泉院」は廃仏毀釈運動によって破却された。

明治6年(1873年)、県社に列す。

明治15年(1882年)には別格官幣社に昇格。

照国神社のご利益

鹿児島の総氏神様であるからして「地域守護」のご利益を頂けようことは言うまでもなく、祭神は日本国のために尽力したのであるからして「国家鎮護」のご神徳もあろう。

また、殖産振興を下支えとして富国強兵につとめた祭神であり、かつ、県下最大の商業集積地「天文館」からも近いため、「商売繁盛」のご利益も期待したいところだ。

そして、斉彬公は幼少の頃から蘭学を学び海外の知識を深めたという。よって「学業向上」のご利益も嬉しい。

そしてそして、斉彬公の意思を継ぐ人材が新しい時代を切り開いていったことから、新しいことに取り組む人の後押しをして頂けそうである。「事業発展」としておこう。

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照国神社 参拝記録

鹿児島中央から鹿児島市電に乗る。いわゆるチンチン電車。大阪でいうなれば天王寺から住吉大社へ行く阪堺線。東京であれば都電荒川線。

これでもって、「天文館通」まで行こう。運賃は大人170円

鹿児島市電の乗り方

ここで老婆心ながら、他県の方々に市電の乗り方を説明しておこう。

注意点

まず最初に。お急ぎの場合はバスを利用されることをお勧めする。車速が、やたら遅い。そして、電停で待っている間に何台のバスが目の前を通り過ぎたことか。。。

もう一つ。ICOCAは使えないから注意が必要だ。

市電の駅は「電停」と呼ぶ。電停は前後からプラットホームに上がることが出来る。しかし、ここでも注意事項がある。人の列を見て、どちらが最後尾か判断する必要があるのだ。

私は間違って列の先頭に立ってしまった。4人目のお兄ちゃんが睨んでいる。若いころなら、ひと悶着ある場面であるが、、、私も大人である。

では乗り方を

車両中央のドアから乗り込む。降車は前のドアから。お釣りは出ない。事前に両替をする必要がある。両替機は車内にあるから心配はいらない。

それだけだ。

「天文館通」で下車。天文館の交差点を左に曲がり天文館のアーケードに入る。そこをひたすら直進すると大通りに出る。

大通りから左を見ると、白い大鳥居が見えるだろう。

駐車場は?

車でお越しの場合は、境内西側(大鳥居の左奥)に無料の駐車場があるので、そちらをご利用頂ければと思う。

大鳥居

これが照国神社の大鳥居。バックに城山。今、画像を見て気が付いたのだが、電柱・電線がない。

斉鶴

鳥居をくぐると見に飛び込むのが「斉鶴」。鶴が翼を広げた様子に刈り込んだイヌマキの木。斉彬公の時代の木と推定される。斉は斉彬公の斉。

手水盤

島津の家紋「丸に十字」が燦然と輝く水盤。

丸に十字の紋にはいくつかの説がある。

  • 二匹の龍を表している。
  • 二本の箸で出陣戦勝のまじない。
  • 轡(くつわ)紋の変形型
  • キリスト教の十字架
  • 十字を切る呪符

現在の定説は、「十字を切る呪符」らしい。

島津家はキリスト教の伝来前から十字紋を使っていたので、キリスト教説は無いだろう。

照国神社 神門

神門から拝殿が見える。

照国神社 拝殿

1953年再建の拝殿や本殿はコンクリート造りとなっている。

太平洋戦争末期、鹿児島市は本土最南端の前線に位置し、県下には特攻隊基地をはじめとする軍事施設があったため、8回もの空襲に見舞われた。死者3000人以上、市内の91パーセントの建物が焼失したという。

当然、木造であった照国神社の拝殿や本殿は焼失。残ったのは石造の大鳥居のみだったという。

そんなことを思いながら、、、二拝二拍手一拝。平和に感謝する。

▼拝殿・本殿を囲む濠

拝殿に向かって左手、濠を渡り本殿へ回り込む。

本殿の裏側にも、見どころがいっぱい。次ページへどうぞ!