椿大神社|鈴鹿|導きの神が鎮まる神域は祓いと浄化のパワースポットだ!

2017年8月17日

「椿大神社」は、鈴鹿山脈の南部にそびえる「入道ケ嶽」を神山とする、延喜式神名帳に記載される式内社で、伊勢国一之宮。由緒ある極めて霊験あらたかな神社である。

ちなみに、「椿大神社」は「つばきおおかみやしろ」と読む。

全国に2000社ある「猿田彦神」を祀る神社の総本宮とされ、「地祇猿田彦大本宮」と尊称される古社である。

森林に囲まれた木漏れ日差す参道を歩くと正面に威厳を湛えた本殿が聳える。まさに「神々しい」という表現がぴったりな大社だ。

同じ神域に妻神「天細女命」を祀る「椿岸神社」があり、こちらは女性からの信仰が特に篤い。

広告

椿大神社について

椿大神社 概要

  • 所在地    三重県鈴鹿市山本町字御旅1871
  • 電話番号   059-371-1515
  • 主祭神    猿田彦神
  • 創建年           垂仁天皇27年(紀元前3年)伝
  • 社格     伊勢国一の宮、式内社、旧県社、別表神社
  • ご利益        道開き・開運・厄除け・浄化・縁結び・夫婦和合・子宝
  • 公式HP    http://tsubaki.or.jp/

椿大神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JRおよび近鉄「四日市駅」から三重交通バス1時間程度
  • 近鉄「平田駅」からC-BUSで50分
  • JR「加佐登駅」からC-BUSで40分

駐車場

  • あり(無料)

椿大神社の祭神

主祭神は「猿田彦大神」

相殿に「瓊々杵尊」「栲幡千々姫命」を祀り、配神に「天細女命」「木花咲耶姫」を祀る。

さらには、前座として「行満大明神」を祀っている。

猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

猿田彦命。神話「天孫降臨」で登場する。

天孫「瓊々杵尊」が高天原から葦原中国に降りる際、四方八方に枝分かれする分岐点に、一柱の男神が待ち受けていた。

その風貌は、鼻が異様に長く、背丈は2メートル、眼光鋭くホオズキのように輝いており、高天原から葦原中国までを照らしていた。

不審に思った「瓊々杵尊」は、「天細女命」に「いったい誰なのか何の用なのか、確認してきなさい」と命ずる。

この大きな男神が答えるに、「名は猿田彦伊勢に住む ”国津神” で、天孫の道案内役として葦原中国から迎えにきた。」

猿田彦命の先導によって、無事に高千穂の峰に降り立つことができたという。

その後、故郷の伊勢に戻って「天細女命」とともに開拓に勤しんだ。

このようなことから、道開きの神、導きの神として祀られる神である。

また、道つながりで「道祖神」と習合したようで、集落の守護神、厄病・悪霊除けの神として祀られる側面も持つ。

さて、その風貌なのであるが、「鼻が高く、背も高い、眼光鋭く、赤く光っている・・・」

ここから「天狗」のモデルとなっていくのだが、もしこの風貌が正しいとするなら、現代でいえば、少なくとも東洋人の風貌ではない。西洋から中東アジアあたりの風貌と言えよう。

猿田彦命・天狗・西洋か中東アジアか・・・

瓊々杵尊(ににぎのみこと)

天照大神の孫。皇統において「最初に地上に降り立った神」という位置づけである。

主祭神「猿田彦大神」との関係は、前述の通り。

兄弟に、海部氏・尾張氏が祀る神「天火明命」がいる。

栲幡千々姫命(たくあたちぢひめのみこと)

高皇産霊神(造化三神の一柱)の娘、あるいは孫。

天照大神の子「天忍穂耳命」と結婚して「瓊々杵尊」と「天火明命」を産む

機織りの神、子宝・安産の神として祀られる。

天細女命(あめのうずめのみこと)

前述の天孫降臨神話に加えて、岩戸隠れ神話にも登場する。

岩戸に隠れた天照大神を引きずりだす作戦の一翼を担う。

担当は踊り。踊るうちに神懸かり激しさを増し、裸体でエロティックに踊り狂った。

その踊りに八百万の神々は大喜び、宴は大いに盛り上がった。

そして、岩戸の中に潜む天照大神が外の様子を見ようと岩戸を少し開いた、そのすきに。。。

長くなるので割愛する。

このような神話から、芸能・俳優の祖とされたり、巫女(神懸り)を神格化した姿であるとも。
猿田彦大神と結婚したとされ、縁結び・夫婦和合・子宝のご神徳も併せ持つ。

ここ椿大神社の神域内にある別宮「椿岸神社」の祭神である。

木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

日本の山を統括する、大いなる山の神「オオヤマツミ」の娘神である。

富士山本宮浅間大社の主祭神であり、そちらでは富士山の噴火を抑える「水の神」として祀られている。

天孫「ニニギ尊」の妻であり、三柱男神を産んだことから、妻の守護神、安産の神、子育ての神として、神宮「内宮」神域内子安神社に祀られている。

行満大明神

猿田彦大神の子孫とされ、かの役行者を修験道に導いたとし、神道修験の元祖と言われているが、史実には無い。

修験道の元祖であるからして、修行・学業・事業・目的達成守導の神として信仰されている。

しかし、「前座」という祀り方は珍しい

猿田彦大神と行満大明神

先ほど、猿田彦命は天狗のモデルとされるようだと申し上げた。

さて、修験者と天狗の風貌は似ている。修験者をモデルにして天狗が描かれているのだろうから、似ていてあたりまえなのだが。修験者=天狗と考えたくなる

さらに、修験者が頭にのせる「頭襟」は、ユダヤ人が祈る時に頭にのせる「ヒラクリティ」と同じ形状をしている。

このことや、ユダヤ教の祭祀場の構造や配置が、日本の神社と似ていることなど、ほかにも様々な日本とユダヤの類似点をあげて、「日ユ道祖論」などが展開されている。

すなわち、天狗=修験者=ユダヤ文化と考えたくなるのである。

さあ、前述の「猿田彦命・天狗・西洋か中東アジア・・・」これに、行満・天狗・ユダヤを合わせて考えた時、

猿田彦命=天狗=ユダヤ=修験者=行満と考えたくなるのである。

実は神道の神である「猿田彦命」はユダヤ人であり、行満大明神は猿田彦命の「修験者としての側面」すなわち「ユダヤ教信者としての側面」なのではなかろうかと。。。

だから前座。古事記・日本書紀に描かれる以前のサルタヒコの姿という意味である。

違うかな。。。

椿大神社の創建

社伝によると、

往古神代、神社の背後に続く高山(入道ケ嶽)・短山(椿ケ嶽)を天然のやしろ(ご神体)として、高山生活を営まれたクニツカミ猿田彦大神を祀った。

これが創建ということになろう。

そして、社殿が造営されたのが、

人皇第十一代垂仁天皇の二十七年秋(西暦紀元前三年)、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社である。

仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及ぶ。

としている。

椿大神社のご利益

社伝を引用させていただこう。

猿田彦大神は、天照大神との幽契により、天孫を先達啓行、皇大神宮の永久御鎮座の大宮所をもお定めになられたことから、

地上に生きとし生けるものの平安と幸福を招く「みちびきの祖神さま」と崇敬されています。

地球国土、土地家屋敷安泰守護、地鎮祭をはじめ、建築、方災解除、厄除開運、家内安全、無病息災、交通安全、旅行安全、商売繁昌、家運隆昌、良縁子孫繁栄、進学修業、事業成就などにご霊験あらたかと信仰されております。

実に、多岐にわたるのである。

スポンサーリンク

椿大神社 参拝記録

椿大神社には、車で向かうのがよかろうと思う。なんせ駅から遠いし、バスの本数は少ないときている。

カーナビの通りに行けば難なくたどり着くだろう。

鳥居の左手「椿会館」の裏側、川沿いに無料の駐車場がある。

正月以外なら、待つことなく駐車できるのではないだろうか。適当なる想像である。

社標と鳥居

鳥居と社標の向きに違和感がある。この社標、なぜに、この向きに立てたのか。。。

「地祇猿田彦大本宮」と刻まれた、小ぶりな社標が本来の姿なのだろうと思った。

庚龍神社

鳥居をくぐると、すぐに庚龍神社(かのえりゅうじんじゃ)がある。

背後にある樹齢四百年と伝えられる樅ノ木に宿り、神域全般を守り給ったとされる、金龍龍神・白龍龍神・黒龍龍神を祀っている。

手水舎

水口は蛙。魚も飛び上っている。躍動感あふれる水盤である。

水は、すこぶる綺麗であった。

内参道

まっすぐに伸びる内参道である。木漏れ日が差し、実に美しい。そして清涼だ。

左手に授与所があり、その横には自動車のお祓い専用社殿がある。この日も太鼓が打ち鳴らされ、ご祈祷が行われていた。

御船磐座

この地に天孫瓊々杵尊一行の御船が到着されたと伝承されてきた場所とのこと。

瑞垣で囲まれた「禁足地」の中央に存在する。

大黒天と恵比寿神

申し訳ないが素通りしたので詳細は分からないが、わりかし近年に創建されたものと推察する。

四の鳥居と拝殿

内参道を歩くにつれて水の気配が濃くなり、このあたりから、ぐっと水の気配が増してくる。

この感じ、龍神を祀る社なり祠なりがある時に感じる気配である。

プラスして、「おごそか感」が強い。この「おごそか感」の強さは、いままでで最高のレベルではないだろうか。

おごそか・・・「厳か」と書く。

辞書によると「気持が引き締まるほどおもおもしいさま」となるのだが、

そこに、清く正しく、美しく、そっとしておきたい、穢したくないもの、などを少量ずつ添加したようなイメージである。

ちなみに、わが息子君が参道の中央を歩いている。。。

このあと、当然のことながら指導を与えたことを付け加えておこう。

拝殿

二礼二拍手一礼。

椿大神社のお守り

「絆まもり」は、別宮の椿岸神社でもとめたものだが、家族やグループで持ち合うことで絆が深まるというお守りだ。

娘が所属する中学の駅伝メンバーがちょうど5名。お土産にもぴったりだ。「氣魄まもり」「かなえ守り」と合わせて、優勝を目指すという。

5歳の息子君は、天狗の面の鈴守りと、8角形の「みちひらき守」。そのフォルムが気に入ったようだ。

「みちひらき守」の裏面は方位盤のデザインになっている。息子にはゲーム盤のように見えたのだろう。

追記1

駅伝大会結果、市大会で優勝!猿田彦大神と天細女大神に感謝!

追記2

中学生だった娘は陸上で高校に進学し、全国大会でファイナリストとなった。
さらに喜ばしいことに、実業団で陸上競技を職業にすることができた。
ひとえに、 猿田彦大神と天細女大神と感謝する次第である。

最後に

椿大神社。そして椿岸神社。

実に気持のよい時間を過ごさせていただいた。心が和んだ。

心なしか妻も優しくなっていたような気がする。。。今は元に戻っているが。。。

また、定期的に訪れたい神社である。

椿岸神社

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

スポンサーリンク