神様について思うこと。
神社が、というか、見えないものに対する畏敬の念というか。そういうものを信じるタイプでした。
例えば、幽霊さんが怖かったり、通りすがりにお地蔵さんがあれば、素通りできずに一礼してから通り過ぎるとか、試験や試合の前の日は、身を清めよう!ってことで、お風呂で念入りに体を洗ったり、当然、何か困り事があれば神社で神頼み。
デートスポットは、基本、神社仏閣をからめて、夜まで引っ張るパターン。
大人になってからも、人生の岐路に立った時は必ず神社でお願い事をしてきました。
宝くじ当選祈願以外は、ほとんど願いが叶ってきたんじゃないかな~。なので、見えないけど、神様は確実にいてはるんやと思ってました。
ところが、神様の名前や神様のご神徳など、「神様とはなんたるか」ついては、全く興味がありませんでした。ある本に出会うまでは。
その本は、明治天皇の玄孫、竹田恒泰さんの「現代語古事記」です。
彼が、「時の人」的な取り上げられ方をされてた時です。本屋さんでペラペラと序文を読んでましたら、ある一文が目に留まりました。
それは、
「12・13歳歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる。」
という一文でした。単純で、日本国を愛する私は、この一文で、コロッとこの本を買ってしまいました。
お蔭さまで、神話の世界に出てくる神様に、少し近づいた気がしましたし、調べて勉強するようにもなりました。
すると、古事記は、藤原不比等が編纂した際、史実を曲げたり隠蔽したりしたために、日本の古代の真相は闇の中という状態らしいことがわかり、これでは神話を学んだことになるのか?と疑問を持ったこともありました。
でも、今の、自分なりの結論は、
神話は神話。史実は史実。同じでなくていい。日本国の基盤がここにあるなら、それが民族の神話である。ということ。
神様の多くは実在した人間である。もしくはモデルとなった人物がいた。ということ。
そして、神様と言われる所以は、日本の建国と発展に多大なる功績を残した人達である。ということ。
私たち現代の日本人も祖先をたどっていくと記紀に登場する神様にたどり着く、神の子であると言っていいのではないか。ということ。
すなわち、何千年、何百代にもわたって受け継がれてきた神様の遺伝子が、今でも私たちの心の中に、潜在的に、染み込むように、存在しているのだ。ということ。
ありがとうございます。
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