古事記|天照大神と須佐之男命① 姉と弟の誓約(うけい)

2019年5月31日

父である伊邪那岐命から追放を言い渡された須佐之男命は、それを受け入れて、、、

姉弟の対面

須佐之男命は、「では、天照大御神の許しを得てから去ります。」と言って高天原に上がりました。その上がるとき、山河が動き、大地震が起こりました。

その音を聞いた天照大御神は驚き、「我が弟が上がってくる理由は、きっと善い心ではないでしょう。高天原を奪おうと思っているはずです」と言って、

髪を解いてミズラを結い、そのミズラにも、髪飾りにも、両手にも、八尺の勾玉を沢山つなげた珠緒を付けて、

背中には1000本入りの靫(矢筒)を背負い、胸には500本入りの靫(矢筒)を抱え、

肘には伊都之竹鞆(ほむた)を取り付け、弓腹を振り立てて、

硬い地面に埋もれるほどに両足を踏みしめ、淡雪のように蹴散らし、雄々しく勇猛なる様で、

「なぜ上がってきのか!」と言いました。

このように、天照大御神はまるで男のような出で立ちで、須佐之男命がやってくるのを待ち構えた。

まるで男のような。。。

天照大御神は実は男神であったという説は根強い。

誓約の提案

速須佐之男命は天照大御神に、

「僕には邪心はありません。ただ、大御神の命令に泣きわめくのは何故かと問われたので、『僕は亡き母の国へ行きたいと思って泣いているのです。』と言いいました。

すると、大御神が『お前はこの国にいてはならない!』と言って、追い出しました。

それで、根の堅洲国へ行こうとする事情を申し上げようと思って、参上しただけです。二心はありません。」

と言いました。

「私」のように自分のことを指す場合、「吾」と「僕」が使い分けられている。

伊邪那岐命が「私は、、、」というときは「吾」。須佐之男命が伊邪那岐命に対して「私は、、、」という場合は「僕」。

なので、「僕」は「わたくしめ」的なニュアンスだろうと思う。

天照大御神が言いました。

「ならば、お前の心が清く正しいことは、どようにして証明するのです?」

これに速須佐之男命が応えます。

「誓約(うけい)にて子供を産みましょう。」

誓約(うけい)とは、古代の占いの一種。あらかじめ定めた2つの事柄のどちらが起こるかによって、吉凶や正邪を判断するという。

しかし、この姉弟の誓約は、誓約になるのか?と思うのだが、、、それはまた後で。

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誓約の実施

宗像三女神の誕生

そこで、天安河を挟んで誓約をしました。

まずは、天照大御神が速須佐之男命が佩いていた「十拳の剣」を受け取って、三つに折り、天真名井の水ですすいで、噛んで噛んで噛み砕き、、、

吹き捨てた息吹から生まれた神の名は 、多紀理毘売命(たきりひめのみこと)。亦の名を奥津嶋比売命(おきつしまひめのみこと)といいます。

次が市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)。亦の名を狭依毘売命(さよりびめのひこと)といいます。

次が多岐都比売命(たきつひめのみこと)です。

ますは、速須佐之男命の剣から3柱の女神が生まれ、北九州の豪族「宗形氏」の祖神で「宗像三女神」と呼ばれている。

五男の誕生

速須佐之男命は天照大御神の左の角髪(みずら)の沢山の勾玉を貫き通した玉緒を受けとり、

そして玉がゆらゆら揺れて音が立つほど、天真名井の水で振りすすぎ、噛みに噛み砕き、吐き出した息の霧から生まれた神の名は 、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさか あかつ かちはやひ あめの おしほみみのみこと))といいます。

次に右の角髪(みずら)に巻かれていた玉緒を受け取り、噛みに噛み砕いて吐き出した息の霧から生まれた神の名を天之菩卑能命(あめのほひのみこと)といいます。

次に御鬘(かずら)に巻いていた玉緒を受け取って、噛み噛み砕いて吐き出した息の霧から生まれた神の名を天津日子根命(あまつひこねのみこと)といいます。

また左の手に巻いている玉緒を噛み砕いて吐き出した息の霧から生まれのが活津日子根命(いくつひこねのみこと)。

また右の手に巻いている玉緒を噛み砕いて吐き出した息の霧から生まれのが熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)です。

合わせて五柱。

天照大御神が速須佐之男命に言いました。

「後から生まれた五柱の男神は私の持ち物から生まれたのでわたしの子供で、先に産まれた三柱の女神はあなたの持ち物から生まれたのであなたの子供です」

このように、子供たちを分けました。

このように、今度は天照大御神の持ち物から5柱の男神が誕生した。

この時の長男「天忍穂耳命」が天照大御神の後を継ぎ、その息子「瓊瓊杵尊」が地上に降臨し、その孫の子が初代神武天皇となるべき「磐余彦命」。

すなわち、この誓約が万世一系の始まりともいえよう。

となれば、天照大御神が皇祖神とされているが、須佐之男命でもあると言えなくもない。

誓約の結果発表

速須佐之男命が天照大御神に

「わたしの心が清らかで明るいから、生まれた子は「か弱い女の子」だった。この結果から言えるのは、当然わたしが誓約に勝ったということだ!」

と言って、勝ち誇ったように振舞いました。

なんと、「女の子が生まれたから勝ち」などと勝手な言い分を押し付けて、それに対して天照大御神は反論しなかったのだろうか。

というか、そもそも誓約の前に、表が出たらどう、裏が出たらどう、という決め事が必要なはずなのだが、、、誓約の体を成していない。

ここで作者が小説家的な表現を試みている。勝ち誇った!とは書かず、「勝さぶ」(勝ち誇ったように振舞った)と書かれている。

「さぶ」とは「~のように」「さも~の如く」の意味である。

おそらく作者は、誓約の勝敗を勝手に決めて押し付けた須佐之男命の「後ろめたい気持ち」「罪悪感」のようなものを、「さぶ」で表現したかったのだろうと思う。ちがう?

 

系譜のご案内

このあたりから、古事記では子が生まれた時、その子の後裔について記述する構成をとっている。

古事記は神話(物語)であるが、一方で系譜の伝承も古事記編纂の重要な役割だったからだ。

現在(古事記編纂当時)、

  • 多紀理毘売命は胸形(宗像神社)の沖津宮に
  • 市寸嶋比売命は胸形(宗像神社)の中津宮に
  • 田岐都比売命は胸形(宗像神社)の辺津宮に鎮座しています。

これらの三柱の女神は胸形君(むなかたのきみ)が齋祀る三座の大神です。

次に生まれた天菩比命の子の建比良鳥命(たけ ひらとりのみこと)は

  • 出雲国造
  • 武蔵国造
  • 上海上国造(千葉県市原市付近)
  • 下海上国造(千葉県北部)
  • 伊甚国造(千葉県中部)
  • 津島県直(対馬)
  • 遠江国造等

の祖神です。

次に天津日子根命は、

  • 凡河内国造(大阪府淀川以南)
  • 額田部湯坐連(奈良県平群郡か大阪府河内郡)
  • 茨木国造
  • 大和田中直
  • 山城国造
  • 馬来田国造(千葉県君津郡)
  • 道尻岐閇国造(不明)
  • 周芳国造(山口県南部)
  • 大和淹知造(奈良県磯城郡)
  • 高市県主(奈良県高市郡)
  • 蒲生稲寸(滋賀県蒲生郡)

の祖神です。

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古事記

Posted by リョウ