古事記|禊(みそぎ)②|綿津見三神・住吉三神・三貴神の誕生

2019年5月29日

伊邪那岐命は、黄泉の国から生還したのち、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原にて、穢れを祓うべく「禊」(みそぎ)を行う。

纏っていた衣服や持ち物を脱ぎ捨てたとき、その持ち物から12柱の神々が生まれる。

そして、海に飛び込み、海の中段で禊を行ったとき、洗われた穢れから2柱の神々が成る。さらに、その穢れを直すために3柱の神々が成った。

ここまでが、前回の「禊(みそぎ)①」の要約である。

さて、次に進もう。

海神の誕生

海の底の瀬で洗ったときに成った神の名は、「底津綿津見神」(そこつわたつみのかみ)、次に「底筒之男命」(そこつつおおのみこと)です。

中の瀬で洗ったときに成った神の名は、「中津綿津見神」(なかつわたつみのかみ)、次に「中筒之男命」(なかつつおおのみこと)です。

海面の瀬で洗ったときに成った神の名は、「上津綿津見神」(うわつわたつみのかみ)、次に「上筒之男命」(うわつつおおのみこと)です。

この3柱の綿津見神は、阿曇連などが祖神として齋祀る神です。すなわち阿曇連は、綿津見神の子「宇都志日金拆命」(うつしひかなさくのみこと)の子孫ということです。

そして「底筒之男命」「中筒之男命」「上筒之男命」の三柱は、墨江の三前の大神です。

住吉三神

「底筒之男命」「中筒之男命」「上筒之男命」は、墨江(住吉)の大神であるからして、住吉大神、住吉三神と称される。

海で生まれたので「海の神」、禊で生まれたので「祓いの神」としての神格を持つ。

仲哀天皇・神功皇后の巻にも重要な役回りで登場する神だ。

神功皇后の命を受けた「津守氏」が、摂津国の住吉大社にて齋祀る。

綿津見三神

日本書紀では「少童神」と書いて「わたつみ」と読ませている。福岡の志賀海神社の祭神だ

住吉三神と同じような神格を持つ。さらに、宗像三神も同様である。そして、それぞれを齋祀るのは、それぞれ異なる海人族。

古事記において綿津見神が先に生まれていることからして、綿津見神(阿曇連)の方が歴史が古いのかもしれない。

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三貴神の誕生

そして、左の目を洗った時に成った神の名は、「天照大御神」
次に、右の目を洗った時に成った神の名は「月読命」
次に、を洗った時に成った神の名は「建速須佐之男命」

前述の「八十禍津日神」から、速須佐之男命までの14柱の神は、体を洗ったことによって成った神々です。

日本の神として、最も有名であろう三貴神の誕生である。

それぞれの詳細は、これらの記事を参照頂きたい。

伊邪那岐三命は大層喜んで言いました。

「私は今まで多くの子を生んできたが、その最後の最後に、なんとも貴い三柱の子を得たぞ!」

そして、自分の首に掛けていた首飾りを揺らして、天照大御神に「おまえは高天の原を統治しなさい」と言いました。

この首飾りの玉を「御倉板挙之神」(みくらたなのかみ)と言います。

そして、月読命には「おまえは、夜の食国を統治しなさい」といいました。

速須佐之男命には「おまえは、海原を統治しなさい」と言いました。

高天原とは

天津神が住む場所を高天原という。すなわち天上界。

一方、人間が住む地上界を葦原中國(あしはらなかぐに)、地中界にあり死者が住むとされるのが根の国や黄泉の国だ。

実際の場所に関する考察としては、

「神の住まう場所であるからして、天上あるいは宇宙である」との説は本居宣長。

いやいや神話は史実を含んでいるという考え方に立ち、実際の地方を特定しようとする学者は多い。

そもそも、京都朝廷は「大和国の葛城」(奈良県御所市高天)としていたのだが、江戸時代以降、下記のような様々な説が飛び出してきた。

  • 「常陸国の多賀郡」説。
  • 「宮崎県の高原町」説。
  • 「宮崎県の高千穂」説。
  • 「岡山県の蒜山」説。
  • 「高天原は邪馬台国」説。邪馬台国の場所が特定できてないのだが・・・
  • 「国雲南」説。これは高天原は中国にあったとする説だ。

これらは、ほんの一部である。

こちらの記事は、朝廷が採用していた「大和の葛城」の高天に鎮座する神社「高天彦神社」の記事。金剛山を背に建てられた風格ある社殿は、名神大社の格式と威厳を醸し出している。

夜の食国(よるのおすくに)

天照大御神は高天原を統治する、すなわち「太陽神」である。対して月読命は「夜の食国」を任されたのだが、夜の食国って何だろう。

食(おす)を治める(統治)とすると、単純に「夜が支配する国」としてもいいだろう。

月読という名からして、姉の「太陽」に対して「月」を任されたのは間違いなかろうと思う。月だから「夜」ということだ。

しかし、食(おす)を治めるとするためにだけに「食」と言う字を充てるだろうか。と思わざるを得ない。

その前に、月読は「月」だけでなく「読」がある。月を読む。すなわち「暦」。太陰暦だ。

月の満ち欠け日数を読むことで、農耕のスケジュール化を可能にする。そんな、人の食にかかわる大切な月だからこそ「食」と言う字を充てたのではないだろうか。

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須佐之男命の追放

伊邪那岐命は三貴神に、それぞれ分割統治を命じたわけだが、須佐之男命だけが困ったことに、、、

速須佐之男命は命じられた国を治めずに、ヒゲが胸まで届こうという年齢になってもまだ泣き続けていました。

その泣くさまは、青山が枯山になってしまうほど、川や海も干上がってしまうほど。

これにより、悪い神がうるさいハエのうように騒ぎはじめ、悪霊・妖怪が現れだしました。

伊邪那岐命は、速須佐之男命に言いました。

「おまえは国を治めもせず、何故に泣きわめいてばかりいるのか」

須佐之男命が、それに答えるに、

「僕は、お母さんのいる根の堅洲国に行きたいと願っています。だから泣いているのです。」

伊邪那岐命は、「ならば、お前はこの国に住んではならない」と言って、即座に速須佐之男命を追放しました。

そして伊邪那岐命は、淡海の多賀に坐しました。

このようにして、須佐之男命は高天原を追放されるのである。

伊邪那岐命も亡き妻が忘れられずに黄泉の国へ乗り込むなど人間臭い一面を持っていたが、須佐之男命も亡き母を慕って泣くという非常に人間っぽい神として描かれている。

 

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古事記

Posted by リョウ