古事記|黄泉国 伊邪那岐命・伊邪那美命の離別

2019年5月20日

スポンサーリンク

<<< 伊邪那岐命・伊邪那美命|迦具土神、斬られる

伊邪那岐命は、亡くなった妻に逢いたくなり、黄泉国に追いかけて行きました。

黄泉国の入口には神殿があります。

その神殿に入り裏の上げ戸から出て、黄泉国の中にいる妻にむかって伊邪那岐命がおっしゃるに、

「愛おしい我が妻よ、私とあなたで作った国はまだまだ未完成なんだ。だから帰っておいで」

伊邪那美命は、これに答えておっしゃるに、

「残念です。もう少し早く来てくれていたらよかったのに。。。だって私は、もう黄泉国の食べ物を食べるようになってしまいましたから。。。」

そうは言ったものの、夫の元に帰りたいと思う伊邪那美命は、続けて、

「でしたら、愛おしい私の夫よ、ここに入ってくることはとても恐ろしいことなので、一旦は神殿に戻って黄泉つ国の神を説得してくださいな。」

(もしくは)
「でしたら、愛おしい私の夫よ、ここに入ってくることはとても恐ろしいことなので、私が一旦奥に戻って黄泉つ国の神と相談してきます。。」

さらに、「私を見てはいけませんよ。私の言えることはここまでです。」

と言いました。

その言葉に従って、伊邪那岐命は神殿内に戻り、黄泉つ国の神が現れるのを長い間待ちました。

(もしくは)
伊邪那美命が奥に戻って、黄泉つ神と相談するのを長い間待ちました。

伊邪那岐命は待ちに待ちました。

そして、とうとう伊邪那岐命は痺れを切らして立ち上がり、左のミズラに刺していた湯津津間櫛の男柱を一本折とって、一つ火を灯して明かりとし、中に入りました。

黄泉国に入ると変わり果てた妻の姿が見えました。

ころがっている遺体には蛆がたかり、頭には大雷、胸に火雷、原に黒雷、陰部に拆雷、左手に若雷、右手に土雷、左足に鳴雷、右足に伏雷、合わせて八柱の雷神が成っていました。

一つ火は不吉という言い伝えは、この逸話が原点にある。

闇夜に蝋燭など1本だけつけて周囲を見ると、あの世のモノや見てはいけないものが見えてしまうという、不吉な「一つ火」だ。

伊邪那岐命は見てはいけないものを見てしまった。

だから、次のような展開となる。

世にも怖ろしい妻の姿を見た伊邪那岐命は、畏れ逃げ帰ります。

すると妻の伊邪那美命は「私に恥をかかせたな~」と言い、すぐに黄泉つ醜女(魔女の類)を遣わせて伊邪那岐命を追わせました。

伊邪那岐命が黒御縵を投げ捨てると、そこに山葡萄が生え、黄泉つ醜女がその山葡萄を食べている間に逃げました。

しばらくすると、また追いついて来たので、右のミズラに刺していた湯津津間櫛を引っこ抜いて投げ捨てたところに筍が生え、黄泉つ醜女がその筍を食べている間に逃げました。

次に、8柱の雷神が1500の黄泉軍を率いて追ってくるではありませんか!

伊邪那岐命は腰に帯びていた十握剣を「後ろ手」に振り回しながら逃げました。

「十握剣を後ろ手に振り回す」

これは、邪悪なものを斬らずして追い祓う「辟邪の剣」の使い方なのである。

十握剣を「辟邪の剣」として使おうと試みたということであろう。

しかし、軍団はそれでは追い祓えなかったが、、、

 

このように、追いかけられながら「黄泉比良坂」の坂下にたどり着きました。

そこに「3個の桃」が実ってるのを見つけた伊邪那岐命が、それらの桃をもいで黄泉軍に投げつけると、ついに全員逃げ去りました。

一息ついた伊邪那岐命は、桃たちに言いました。

「お前たちは私を助けてくれたように、葦原中国の「うつしき青人草」(人民)が苦境に立たされたり、病を患った時、同じように助けてあげなさい」

そして桃たちに「意富加牟豆美命」(おおかむづみのみこと)という名を授けました。

このことから、桃は邪気を祓う力を持つ「神の果実」とされるわけだ。

だから神名が意富加牟豆美命」(おおかむづみのみこと)=「大神つ実の命」=「大いなる神の実」 なのである。

全国の神社で桃をモチーフにしたお守りが頂けるのも、このお蔭げ。

人民のことを「青々とした草が勢いよく群生している様子」すなわち「青人草」と表現している。面白い表現だと思う。

▼桃守りが頂ける神社はコチラ!

最後に伊邪那美命が自ら追ってきたので、伊邪那岐命は、そこに千引きの石を置いて黄泉比良坂を塞き止めました。

そしてその巨岩を境にして対峙して、事戸(異戸=別離)を言い渡した時、

伊邪那美命が言うには、

「私の愛おしい夫よ。私にこのようなことをしたからには、貴方の国の人草を1日に1000人も絞め殺しましょう」

伊邪那岐命が答えて言うに、

「私の愛おしい妻よ。お前がそのようなことをするのであれば、私は1日に1500の産屋を立てることにする」

これによって、1日に1000人が死に、1500人が生まれるようになりました。

最終的には、離婚したわけだ。亡くなったのだから離婚などする必要がないと思うのだが。。。しかも、まだ「愛おしい・・・」という気持ちをもお互い持っているのに。。。

それはそれとして、

伊邪那岐と伊邪那美の一連の説話は、子供たちが読むことによって、男と女の違いや、性について、また出産や、病の苦しみ、そして死、などを自然と学ぶことができるように設計されていて、一種の教本のように使われることを意識しているような気がする。

このようなことから、伊邪那美命のことを、黄泉津大神(よもつおおかみ)と呼び、

前述のように追ってきたことにより道敷大神(ちしきのおおかみ)と名付けました。

また黃泉坂(よみのさか)を岩が塞がれて通れなかったので、道反大神(ちがへしのおおかみ)、あるいは塞坐黃泉戸大神(さやりますよみとのおおかみ)と名付けられました。

その黄泉比良坂(よもつひらさか)といわれる所は、今は出雲国(いづものくに)の伊賦夜坂(いふやさか)と言います。

<<< 伊邪那岐命・伊邪那美命|迦具土神、斬られる

古事記

Posted by リョウ