古事記|神生み② 伊邪那美の死

2019年5月20日

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次に生んだ神の名は、鳥之石楠船(とりのいわくすふね)の神で、亦の名を天鳥船(あまのとりふね)といいます。

次に、宜都比賣(おほげつひめ)の神を生みました。

次に、火之夜芸速男(ひのやげはやお)の神を生みました。この神の亦の名は、火之炫毘古(ひのかかびこ)の神、あるいは火之迦具土(ひのかぐつち)のといいます。

伊邪那美命は、この火の神を生んだことで陰部を焼かれてしまい、重い病に臥しました。

病に苦しむ伊邪那美命の”たぐり”(吐瀉物)から生まれたか神の名を金山毘古(かなやまびこ)の神といいます。次に、金山比売(かなやまびめ)の神が生まれました。

次に、”くそ”(便)から現れた神を波爾夜須毘古(はにやすびこ)の神といい、続いて波爾夜須比売(はにやすひめ)の神が現れました。

次に、”まゆり”(尿)から現れた神を弥都波能売(みつはのめ)の神といい、続いて和久産巣日(わくむすび)の神が現れました。

この和久産巣日の神の子が、豊宇気毘売(つようけびめ)の神なのです。

伊邪那美命は火の神を生んだことによって苦しんだ挙句、とうとう神避ってしまわれました。

天鳥船から豊宇気毘売神まで、合わせて八柱の神となります。

そして、伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱で生んだ島は十四島、生んだ神は三十五柱となります。これらの神々は、伊邪那美命がなくなる前にお生みなさったのですが、意能碁呂(おのころ)島は生んだものではなく、また姪子と淡島は子の数にいれません。

鳥之石楠船は「楠木で作られた頑丈な、そして、鳥が飛ぶように早く走る船」といった意味。神様の乗り物、あるいは使者として登場する。

宜都比賣は、粟の国(徳島)の名前として国生みに登場し、再び神生みでも同じ名前で登場する。いずれにしても、穀物・食物をつかさどる神である。

そして、最後に火の神を生む。

それが原因で火傷を負った伊邪那美が苦しみもがく様を、「たぐり」「くそ」「まゆり」などという言葉を使って表現しながらも、そこから農耕に関する重要な神々が現れる設定にしてある。

  • 金山毘古・金山比売・・・鉱山の神。吐瀉物の形状から連想したのではと言われている。たしかに鉱脈は吐瀉物の外観に近い。
  • 波爾夜須毘古・波爾夜須比売・・・総称して埴安神とも称される。埴輪の「埴」。すなわち「土」の神であり便から生まれたので「肥沃な土壌」というイメージ。また、火で焼かれて土器になるため、土器の神とも。
  • 弥都波能売・・・水の神として最もポピュラーな神の一柱。灌漑用水や井戸の神として祀られる。
  • 和久産巣日・・・「ワク」は「若」で「ムスビ」は「生成」。穀物の芽がすくすくと成長する様を表している。すなわち穀物をつかさどる神。豊宇気比売を生むのも合点がいく。

これらは、言い換えると、、、

  • 鉱物を熱して溶かすことで精錬し、農機具を作ることができるようになった。
  • 土を固めて焼くことで堅い土器を作り、種を保管することができるようになった。
  • 灌漑用水の敷設や井戸の発明で、農業用水の確保が容易になった。
  • このような環境の整備によって、穀物はよく育つようになった。

ということが言いたかったのだろう。

 

伊邪那岐命がおっしゃるに、

「なぜ、この愛おしい我が妻の命を、たった一人の子に替えろと言うのか!」

愛おしい妻の亡き骸の枕元に這いつくばって摺り寄り、足元に這いつくばって摺り寄り、泣きわめいたときに流した涙が落ちて神が現れました。

天香具山の近くにある畝尾山の木の下にいらっしゃる、名を泣沢女(なきさわめ)といいます。

このように、亡くなった伊邪那美の神は、出雲国と伯耆国の境にある比婆之山に葬られました。

「這いつくばって摺り寄り」は原文では「匍匐」と表現されている。匍匐前進の「匍匐」だ。子供のように泣きすがる様子が目に浮かぶではないか。

「古事記は文学である」と言われる由縁だろう。

比婆之山の比定地はいくつかある。

  • 広島県と島根県の境ちかくにある「比婆山」
  • 三重県熊野市にある「花の窟神社」
  • 島根県松江市の「神納山」
  • 島根県と鳥取県の境にある「船通山」

などなど。

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古事記

Posted by リョウ