四条畷神社|なにわ七幸めぐり「心願成就」は、癒しのパワースポット。さらには摂社の御妣神社は子宝・子育てのパワースポット。

2016年2月22日

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四条畷神社は、大阪府四条畷市、生駒山系の北部に位置する飯盛山の麓に鎮座する。旧社格は別格官幣社である。現在は別表神社で、「なにわ七幸めぐり」の一つ「心願成就」のご利益を頂ける神社として選定されている。

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四条畷神社について

四条畷神社 概要

  • 所在地   大阪府四條畷市南野2丁目18番1号
  • 電話番号  072-876-0044
  • 主祭神   楠木正行
  • 創建年   明治23年
  • 社格    別格官幣社、別表神社
  • 公式HP   なし

四条畷神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JR学研都市線 四条畷駅 徒歩15分 バスもあり

駐車場

  • あり(無料)

だが、鳥居の手前から右へ曲がり、急な坂道を登らなければならない。少しく怖い。

四条畷神社の主祭神

主祭神は、楠木正行公(まさつら)。配神として、一族24柱が祀られている。

ご存知の通り、父親の楠木正成は建武の中興依頼の南朝方の武将。後醍醐天皇のために命を掛けて戦い、神戸の湊川で戦死。

よって、息子の正行がその遺志を継ぎ、南朝の将として王政復古の為に命を捧げた。四条畷市民は親しみをこめて「なんこうさん」と呼んでいる。

四條畷神社の創建

明治に入り、明治政府から南朝が正統とされたとき、楠木正成は「大楠公」として神格化され、湊川神社が創建された。

それにともなって嫡男の正行も、負けるとわかっていながらも南朝のために命を賭して足利軍と戦った忠功厚く、「小楠公」として崇拝されたのである。

そんな時代背景の中で、同じ地区にある住吉平田神社の神職の発案から、政府への働きかけが行われ、ついには「四條畷神社」の社号の宣下が勅許され、明治23年(1890年)住吉平田神社の南隣の山麓に大規模な神社が創建された。

四条畷神社の駐車場

四条畷神社の駐車場は、境内に乗り入れる形となる。鳥居の手前の石段横から右に回り込み、急激な坂道を登り、登りきる少し手前で左に曲がらなければならない。

急坂に対して横向きにならないといけないということだ。何が言いたいかというと、横転しそうな気がして怖いということである。

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四条畷神社 参拝記録 参道

四条畷神社の参拝にあたり、まずは小楠公墓所に参拝するのをお勧めしたい。車でお越しの場合は、駐車スペースがないため、目の前にコインパーキングがあるからそこに停めよう。

小楠公御墓所

四条畷神社の参道は、神社の西1kmにある「小楠公御墓所」を出発点とする。ここからまっすぐ伸びる参道は、四条畷随一の商店街でもある。

正行が弟と刺し違えて自害したのち、ここに運ばれて埋葬されたが、足利軍に見つからないよう墓石には「南無権現」としか彫らなかった。 その後、(ほとぼりが覚めた頃?)その両脇に若い楠を2本植えた。その若木は大きく太くなつにつれ、墓石を取り込んで1本の太い幹になった。

とのことである。

ゆったりとした、落ち着いた気が流れている。

拝所の横から、奥に入ることができるので、玉垣越しではあるが、墓所を周囲から見ることができる。是非、その大楠をご覧いただきたい。

実は小学校2年まで、私はこの墓所の裏手に住んでおり、この大楠に登っては落ち葉溜まりに飛び込むといった遊びに興じていた。

そのころ、この大楠には蛇が棲みついていたのだが、今はどうだろうか。。。登る体力も気力もない。

さて、なだらかな登りの参道を歩くこと10分。途中に一の鳥居がある。何の特徴もないのでスルー。

内参道と境内社

二の鳥居

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墓所から約1km。途中からなだらかな登り坂を、ひょこひょこと歩くと、突き当りに鳥居が立つ。鳥居の左側に、伊勢屋というお茶屋さんがある。お茶屋ではなく、茶屋宿とのこと。評判はいいようだ。

いかにも古めかしい佇まいだ。聞くところによると、築100年以上の歴史的建造物らしい。ここで一休みしたいところではあるが、本日はお休みである。

ここの縁台で、冬は甘酒、夏はかかき氷とかラムネを頂くのが、子供の頃の楽しみであった。

鳥居をくぐると石段が聳え立つ。100段ほどであろうか。参道を歩いてきての、この石段。結構、きついのだが、両側は森から気持ちのいい風が通る。途中で振り返ると、眺めも良い。

供養塔と末社

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手水舎の奥にひっそりと、供養塔がある。豊中市の山林で発見されたとか。

一族の供養のために建立されたものと聞く。

極めて小さいものではあるが、手を合わさずにはいられない。これが豊中市の山林で発見されたとは。。。

向かい側には、菅原道真公を祀る末社の楠天神社と、

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元々は飯盛山の東峰の有源山にあった神社を奉遷して祀った本有源招魂社がある。
賽銭箱にあった菊水の神紋。美しい。

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楠木正成が後醍醐天皇のために挙兵したとき、天皇から「菊紋」を下賜された。しかし、畏れ多いということで、下半分に水の流れを加えて「菊水紋」にした。

という伝説があります。

楠木家は建水分神社の氏子であり、河内国を治めるにあたり、河内平野の河川を支配したりと、楠木家と水は切っても切れない関係なのだ。

弥生時代の河内国は、淀川、寝屋川、大和川などが一箇所に流れ込んでいて、河内湖を形成していた。

平安末期にはその大部分が陸地化してはいたが、大池や湿地帯も多く、河川が縦横無尽に流れているような土地だったはずである。

その河川を支配することが、河内国を支配するためには不可欠だったことは想像に難くない。

参拝記録 本殿アリア

神明鳥居と拝殿

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拝殿前の木製の神明鳥居は、創建100年の祝いとして伊勢の神宮から贈られたものである。ありがたし。鳥居の黒い染みが龍に見えるのは、私だけであろか。

拝殿前は、綺麗に澄んだ爽やかな空気が流れている。清涼感がある。安心感というか、やさしいというか、心がくつろぐ癒しのパワーである。

個人的に大好きな雰囲気の神社の一つと申し上げておこう。

御妣神社

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本殿の左隣には、正成の妻にして、正行の母。正成亡きあと、正行を立派な武将に育て上げた久子さんを祀る、御妣神社(みおやじんじゃ)が少し控えめに鎮座。

摂社ではあるが、立派な拝殿が設えてある。

私は、本殿よりも摂社の御妣神社の方により強い癒しのパワーを感るのだ。良妻賢母の久子さんの人柄であろか。子宝や子育てのご利益を頂けそうである。本殿前よりも、少し温度の高い気がある。

最後に

私が生まれて初めて参拝した神社が、この四条畷神社。もしかしたら生まれる前からかも。

というのも、両親の結婚式はここ四条畷神社で挙げたのだそう。私の生家は、前述の通り「小楠公御墓所」の裏手だったこともあり、私のお宮参りや七五三も、四条畷神社だったのだ。

墓所も神社も神社の上の桜公園も、すべてが私の遊び場。完璧に私の産土様

この地を離れても、人生の分岐点では必ず参拝してきた。というか、来たくなるのである。産土様であるあからして。

と、思っていたのだが、、、

神職さんとの何気ない会話の中で、耳を疑う言葉が。。。「四条畷神社は、氏子を持たないんです。」

とうことは?ということは?氏子を持たないということは、「産土様でもない」ということになるのである。

本当の両親が他にいてたことを聞かされた子供のような、ちょっと寂しい気持ちになった。そして、本当の産土様は何処?と探すわけだ。

答えはすぐにわかった。すぐ北にある、住吉平田神社である。

私は後日、住吉平田神社に赴き、「知らなかったとは言え、今まで一度も挨拶できずに申し訳ございませんでした」とご挨拶申し上げた。

実はこの時、正行さん・久子さんへの崇拝の思いは薄れていたのかも。

その帰り道、四条畷神社の本殿のすぐ下を歩いていると、グキッ!。強烈な捻挫。しばらく歩けないくらいの強烈な捻挫だ。

その瞬間、バチが当たったと確信した。

育ての親と生みの親。どちらも大切である。でも、生みの親を知ったからと言って、我が子ではない自分を愛情一杯に育ててくれた、育ての親への愛着と感謝の思いは、ひとかけらも損なわれてはならないのである。

それを、強烈な捻挫で気付かされたのだ。いや、神様が教えてくれたのだ。

やはりこれからも、四条畷神社は私の産土様である。

(追記)

最近、住吉平田神社は神霊スポットと噂されているらしい。知らんかった。

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